コンテンツにスキップ

サバイバー (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サバイバー
スウェーデン・セルヴェスボリ公演 (2013年6月)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
ジャンル
活動期間
レーベル
公式サイト survivorband.com
メンバー
旧メンバー 別記参照

サバイバーSurvivor)は、アメリカ合衆国出身のロックバンド。『ロッキー3』の主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」の世界的ヒットで知られ、1980年代中期に隆盛を極めた。活動停止期間を挟んだ1990年代からの再開以降、過去作品からのリバイバルを主体に活動している。

略歴

[編集]

全米1位から活動停止まで (1977年 - 1988年)

[編集]

1977年シカゴで結成、1979年デビュー。ブラス・ロック・バンド、「アイズ・オヴ・マーチ」の元メンバー、ジム・ピートリック英語版(1950年イリノイ州生れ)が「チェイス」の元メンバーであったデニス・ジョンソンとゲイリー・スミスを誘って結成した[注釈 1]。他のメンバーもサバイバー結成以前から活動していた、バンド名の通りアメリカン・ロックの「生存者、生き残り(=サバイバー)」たちである[注釈 2]

作風は一作目から一貫してハスキーなボーカルが特徴のポップでメロディアスなハードロックである[注釈 3][独自研究?]当初はセールスに恵まれなかったが、1982年シルベスター・スタローンの依頼により作曲したアメリカ映画ロッキー3』の主題歌「アイ・オブ・ザ・タイガー」が全米で6週連続1位という大ヒットを記録した。同曲を収録したアルバム『アイ・オブ・ザ・タイガー』も最高位2位まで上った。1985年には映画『ロッキー4/炎の友情』の主題歌「バーニング・ハート」もヒットさせている。なお、この曲は、ボクシングの亀田興毅オリックス・バファローズ小松聖投手が自らの選手登場曲として使用している。

1983年に「アイ・オブ・ザ・タイガー」などのヒットを歌ったデイヴ・ビックラー(1953年ノースダコタ州生れ、元ジェイムスタウン・マサカー、マライア)からジミ・ジェイミソン[注釈 4](1951年ミシシッピ州生れ、元ターゲット、コブラ)へとボーカルが代わるが、バンドはこの後に黄金期を迎える。1980年代中期に「バーニング・ハート」をはじめ4曲のトップ10ヒットを放ち、ロン・ネヴィソンによるプロデュースの下でリリースしたアルバム『バイタル・サインズ』『ホエン・セカンズ・カウント』の2作も好セールスを記録した。1980年代後半、音楽性がヘヴィな方向に変化しセールスが落ち込んでくると、実質的にジミ、フランキー・サリバン(1955年シカゴ生れ、ギター、元マライア)、ジム・ピートリック(キーボード、ギター)のトリオとなり、ベース、ドラムスが流動的メンバーとなった。その後はバンド活動が停滞しメンバーのソロ活動が目立つようになった。特に1989年から1993年の間はバンドとしての活動は完全に休止し解散状態であった。

活動再開以降 (1993年 - )

[編集]
左ジミ・ジェイミソン(Vo) 右フランキー・サリバン(G) 2013年

1993年にデイヴが復帰するも新作アルバムのリリースはなく、ベスト・アルバムに新曲を収録した程度であった。1999年にはジミ・ジェイミソンズ・サバイバーの名でアルバム『Empires』が発表されたが、これはサバイバーの名を使ってツアーを続けていたジミの2作目のソロ作品であった。サバイバー本体(結成時からの一貫したメンバーであるフランキー・サリバン)からジミに対してバンド名の使用を巡り訴訟が起こされていたが、同作発表後フランキーがサバイバー名義の所有権を得たことで決着が付き、アルバムもジミのソロ名義に変更された。結成メンバーのジム・ピートリックも1996年にバンドを離れ、2000年代はソロ・プロジェクトのプライド・オブ・ライオンズに専念した。

2006年、18年振りとなるオリジナル・アルバム『リーチ』を発表。同作ではジミ・ジェイミソンがボーカルを務め、フランキー・サリバンがギターとプロデュースを担当し、ジム・ピートリックが作曲でのみ参加した。同年、ジミ・ジェイミソンは脱退し、後任としてロビン・マッコーリーが加入。2008年、ジミ・ジェイミソンがジム・ピートリックと組んで3作目となるソロ・アルバム『Crossroads Moment』を発表、こちらも、もう1つのサバイバー復活作品として好評価を得た(ただし、サバイバーの名義は上記の経緯から1999年以降フランキー・サリバンが所有権を取得しているため、彼が参加しないプロジェクト・ユニットが使用することはできない)。2012年のツアーから、再度、ボーカリストにジミ・ジェイミソンが復帰、さらに2013年からはデイヴとのツインボーカル体制になっていた。

2014年8月31日、ジミ・ジェイミソンが薬物中毒による脳卒中のためテネシー州メンフィスにある自宅で死去[3][注釈 5]。翌2015年に新しいボーカルとしてキャメロン・バートンが加入[5]

メンバー

[編集]

現ラインナップ

[編集]
  • キャメロン・バートン (Cameron Barton) – ボーカル (2015年– )
  • フランキー・サリバン (Frankie Sullivan) – リードギター (1978年–1988年、1993年– )
  • ビリー・オゼロ (Billy Ozzello) – ベース (1995年–1996年、1999年–2003年、2006年– )
  • ウォルター・トレンティノ (Walter Tolentino) – キーボードリズムギター (2011年– )
  • ライアン・サリバン (Ryan Sullivan) – ドラムス (2014年– )

旧メンバー

[編集]
  • デイヴ・ビックラー (Dave Bickler) – ボーカル (1978年–1983年、1993年–2000年、2013年-2016年)
  • ジム・ピートリック (Jim Peterik) – キーボード、リズムギター (1978年–1988年、1993年–1996年)
  • デニス・ジョンソン (Dennis Keith Johnson) – ベース (1978年–1981年)
  • ゲイリー・スミス (Gary Smith) – ドラムス (1978年–1981年)
  • マーク・ドラウベイ (Marc Droubay) – ドラムス (1981年–1987年、1996年–2014年)
  • ステファン・エリス (Stephan Ellis) – ベース (1981年–1987年、1996年–1999年) ※2019年死去
  • ジミ・ジェイミソン (Jimi Jamison) – ボーカル (1984年–1988年、2000年–2006年、2011年-2014年) ※2014年死去
  • ビル・サイニア (Bill Syniar) – ベース (1988年、1993年-1994年)
  • ミッキー・カレー (Mickey Curry) – ドラムス (1988年)
  • カイル・ウッドリング (Kyle Woodring) – ドラムス (1988年、1993年–1996年) ※2009年死去
  • クレム・ヘイズ (Klem Hayes) – ベース (1994年-1995年)
  • ランディ・レイリー (Randy Riley) – ベース (1995年、2003年–2005年)
  • クリス・グローヴ (Chris Grove) – キーボード、リズムギター (1996年–2008年)
  • ゴードン・パトリアカ (Gordon Patriarca) – ベース (1999年)
  • バリー・ダナウェイ (Barry Dunaway) – ベース (2005年–2006年)
  • ロビン・マッコーリー (Robin McAuley) – ボーカル (2006年–2011年)
  • マイケル・ヤング (Michael Young) – キーボード、リズムギター (2008年–2010年)
  • ミッチェル・シグマン (Mitchell Sigman) – キーボード、リズムギター (2010年–2011年)

ディスコグラフィ

[編集]

スタジオ・アルバム

[編集]
  • 『サバイバー』 - Survivor (1979年) ※全米169位
  • 『予戒』 - Premonition (1981年) ※全米82位
  • アイ・オブ・ザ・タイガー』 - Eye of the Tiger (1982年) ※全米2位
  • 『制覇への野望』 - Caught in the Game (1983年) ※全米82位
  • 『バイタル・サインズ』 - Vital Signs (1984年) ※全米16位
  • 『ホエン・セカンズ・カウント』 - When Seconds Count (1986年) ※全米49位
  • 『今夜は眠れない』 - Too Hot to Sleep (1988年) ※全米187位
  • 『リーチ』 - Reach (2006年)

ライブ・アルバム

[編集]
  • Extended Versions: The Encore Collection (2004年)
  • 『ライヴ・イン・ジャパン1985』 - Live in Tokyo (2009年)

コンピレーション・アルバム

[編集]
  • 『THE BEST OF サバイバー』 - The Best of Survivor (1984年)
  • 『ザ・ベスト・オブ・サバイバー』 - The Very Best of Survivor (1986年)
  • 『サバイバー・グレイテスト・ヒッツ』 - Greatest Hits (1989年)
  • Prime Cuts: The Classic Tracks (1998年)
  • Survivor Special Selection (2000年)
  • Fire in Your Eyes: Greatest Hits (2000年)
  • 『アルティメット・サバイバー』 - Ultimate Survivor (2004年)
  • The Best of Survivor (2006年)
  • 『ヴェリー・ベスト・オブ・サバイバー』 - Playlist: The Very Best of Survivor (2009年)
  • The Essential Survivor (2014年)

シングル

[編集]
題名 リリース チャート最高順位 収録アルバム
US
[6]
US
Main

[7]
US
Adult

[8]
AUS
[9]
UK
[10]
BEL
[11]
CAN
[12]
Year End
"Somewhere in America" 1980年 70 『サバイバー』
"Rebel Girl" 103 アルバム未収録シングル
"Poor Man's Son" 1981年 33 『予戒』
"Summer Nights" 1982年 62
アイ・オブ・ザ・タイガー
"Eye of the Tiger"
1 1 27 1 1 1 2 アイ・オブ・ザ・タイガー
"Ever Since the World Began"[注釈 6]
アメリカン・ハートビート
"American Heartbeat"
17
"The One That Really Matters" 74
コート・イン・ザ・ゲーム
"Caught in the Game"
1983年 77 16 『制覇への野望』
愛をつらぬいて
"I Never Stopped Loving You"
1984年 104
ザ・モーメント・オブ・トゥルース
"The Moment of Truth"
63 ベスト・キッド』サウンドトラック
キャント・ホールド・バック
"I Can't Hold Back"
13 1 93 80 18 19 73 『バイタル・サインズ』
ハイ・オン・ユー
"High on You"
1985年 8 8
ザ・サーチ・イズ・オーバー
"The Search Is Over"
4 1 60 21 48
ファースト・ナイト
"First Night"
53
バーニング・ハート
"Burning Heart"
2 11 55 5 1 14 8 ロッキー4/炎の友情』サウンドトラック
イズ・ディス・ラヴ
"Is This Love"
1986年 9 27 25 78 『ホエン・セカンズ・カウント』
ハウ・マッチ・ラヴ
"How Much Love"
1987年 51
マン・アゲンスト・ザ・ワールド
"Man Against the World"
86
"In Good Faith"
愛とは知らなくて
"Didn't Know It Was Love"
1988年 61 40 『今夜は眠れない』
"Across the Miles" 1989年 74 16
"Desperate Dreams"
"Eye of the Tiger"
(2007年再チャートイン)
2007年 47 『アイ・オブ・ザ・タイガー』
「—」は、その地域でチャート化されていない、またはリリースされなかった録音を示す。

日本公演

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ジムは、チェイスのファースト・アルバム『追跡』に「Boys and Girls Together」を提供し、ラスト・アルバム『復活』にはボーカルで参加している。
  2. ^ サバイバーというバンド名には、チェイスの他のメンバーが1974年に飛行機事故で他界した際、当時チェイスに参加していたジムはバスで移動、デニスとゲイリーは不参加という別行動を取っていたため難を逃れた「生存者」を意味するという説、またその中でも特にジム・ピートリック1人がニックネーム的にsurvivorと呼ばれていたとする説もある。[要出典]
  3. ^ ただし、サバイバーの「Reach」、ジミのソロ「Crossroads Moment」いずれも日米各々ともに同じレーベル(アメリカ:フロンティアーズ・レコード、日本:キングレコード)から発売されているが、ジャンルの細分類はハードロックではなく「メロディアスロック」とされている。
  4. ^ ジミをジム、ジェイミソンをジャミソンと表記したメディアも見られる。
  5. ^ 死去当時、死因は「心臓発作」と報じられていた[4]
  6. ^ 1989年に『ロックアップ』サウンドトラックとしてリメイク再録された。

出典

[編集]
  1. ^ a b Huey, Steve. Survivor Biography, Songs, & Albums - オールミュージック. 2022年2月1日閲覧。
  2. ^ Luhrssen, David; Larson, Michael (2017). Encyclopedia of Classic Rock. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. p. 171. ISBN 978-1-440-83514-8. "After disbanding, guitarist Jim Peterik formed 1980s arena rock act Survivor." 
  3. ^ “元サバイバー、ジミ・ジェイミソンの死因は薬物中毒による脳卒中だった”. Billboard JAPAN (阪神コンテンツリンク). (2014年11月12日). https://www.billboard-japan.com/d_news/detail/23828/2 2022年2月1日閲覧。 
  4. ^ “サバイバーのジミ・ジェイミソン、急逝”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2014年9月3日). https://www.barks.jp/news/?id=1000107340 2022年2月1日閲覧。 
  5. ^ Kielty, Martin (2015年10月22日). “Survivor reveal new lead singer”. Louder (Future Publishing). https://www.loudersound.com/news/survivor-reveal-new-lead-singer-cameron-barton-jimi-jamison 2022年2月1日閲覧。 
  6. ^ Survivor Chart History (The Hot 100)”. Billboard. 2022年2月1日閲覧。
  7. ^ Survivor Chart History (Mainstream Rock Airplay)”. Billboard. 2022年2月1日閲覧。
  8. ^ Survivor Chart History (Adult Contemporary)”. Billboard. 2022年2月1日閲覧。
  9. ^ Kent, David (1993). Australian Chart Book 1970-1992 (illustrated ed.). St Ives, N.S.W.: Australian Chart Book. p. 301. ISBN 0-646-11917-6 
  10. ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 542. ISBN 1-904994-10-5 
  11. ^ ULTRATOP BELGIAN CHARTS”. Ultratop.be. 2022年2月1日閲覧。
  12. ^ Results: RPM Weekly”. www.bac-lac.gc.ca. Library and Archive Canada (2013年7月17日). 2022年2月1日閲覧。

外部リンク

[編集]