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「スターハウス」の版間の差分

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=== 公団住宅への導入と建設の終息 ===
=== 公団住宅への導入と建設の終息 ===
数多くのスターハウスを建設した[[日本住宅公団]]は、公団住宅第1号である[[1956年]]([[昭和]]31年)竣工の[[金岡団地]]での導入を皮切りに、多数の団地にスターハウスを建設した。しかし、昭和30年代(1955年-)中頃から、板状住棟に比べ1戸あたりの建設費が高額であることや、住宅用地の不足による量的要求が増したことにより、[[1964年]](昭和39年)12月竣工の[[名和団地]]のスターハウスをもって、日本住宅公団による中層スターハウスの建設が終了した。全国各地の自治体の公営住宅は1970年代半ばまで建設が続いた。
数多くのスターハウスを建設した[[日本住宅公団]]は、公団住宅第1号である[[1956年]]([[昭和]]31年)竣工の[[金岡団地]]での導入を皮切りに、多数の団地にスターハウスを建設した。しかし、昭和30年代(1955年-)中頃から、板状住棟に比べ1戸あたりの建設費が高額であることや、住宅用地の不足による量的要求が増したことにより、[[1964年]](昭和39年)12月竣工の[[名和団地]]のスターハウスをもって、日本住宅公団による中層スターハウスの建設が終了した。全国各地の自治体の公営住宅は1970年代半ばまで建設が続いた。


=== その後 ===
=== その後 ===

2023年12月13日 (水) 21:20時点における版

常盤平団地のスターハウス
階段室

スターハウス(Star House)は、集合住宅における住棟の形態の一つであるポイントハウスのうち、Y字型の平面形状を有するものである。一般的に1フロア3住戸である。別称は星型住宅[1]

歴史

初の建設

公営住宅の標準設計作成の委託を受けた市浦健が公営住宅標準設計54C-II型として考案し、茨城県水戸市の茨城県営釜神町アパートで初めて建設された[2]。これ以降、全国各地の公営住宅にとどまらず、公団住宅日本電信電話公社職員寮でも数多く採用されていった。

公団住宅への導入と建設の終息

数多くのスターハウスを建設した日本住宅公団は、公団住宅第1号である1956年昭和31年)竣工の金岡団地での導入を皮切りに、多数の団地にスターハウスを建設した。しかし、昭和30年代(1955年-)中頃から、板状住棟に比べ1戸あたりの建設費が高額であることや、住宅用地の不足による量的要求が増したことにより、1964年(昭和39年)12月竣工の名和団地のスターハウスをもって、日本住宅公団による中層スターハウスの建設が終了した。スターハウスは本来、大量に住居を供給するための設計なので、1戸の生活空間は狭く、『腕』にあたる住居部分も、互いの距離が近く視線にさらされやすいことも短所であった。1970年代には住宅事情も改善されて1人1室が確保できるような、ゆとりある住宅が普及してきたものの[3]、全国各地の自治体の公営住宅は1970年代半ばまでは建設が続いた。

その後

公団住宅のスターハウスは、1986年(昭和61年)に始まった団地建替事業により大半が除却された。また、日本電信電話公社職員寮として建設されたスターハウスについても、平成時代に始まった社宅の整理・合理化によりほとんどが除却された。公営住宅のスターハウスも老朽化等の理由で全国的に除却が進んでいる。

保存が決定したスターハウス

脚注

注釈
出典

関連項目

外部リンク